屋外での喫煙を禁止することは気違い沙汰である

「ここは天下の往来、誰に指図されるいわれはない」といった言い回しを聞いた人がいると思うが、時代劇ではよく使われる物言いである。但し、現在制作される時代劇において使われてるかどうかまでは分からない。

天下の往来とは誰でも行き来できる通路・道のことを指し示し、私有地と区別するためにも用いられていた。天下の往来では高貴な人・身分の低い人・下賤・乞食の如何を問わず利用することが出来た。

但し品物を売ったり乞食をすることには「任意的な制限」があり、乞食や物売りが大手を振って商売できる場所は自ずから定まっていた。また江戸時代のみならず、昭和時代における紙芝居それにアイスキャンディー売りなども天下の往来を利用していたが、誰もが自由に利用できる天下の往来に制限を付けてしまおうとしたのが現代まで続いている道路交通法という悪法であって、通行以外の用途に使う場合には警察に許可を貰わなければいけないようになってしまった。

またそれ以外にも通行方法(徒歩・自転車・人力車・自動車など)についても定められ、しかもそれに従わないと罰せられるという悪しき状態にまでなってしまったのが現代社会である。

一部の自治体において路上喫煙禁止の条例が定められる以前において、歩きタバコは辞めるようにというキャンペーンが行われていた。つまり歩きタバコは小さい子供の身長との兼ね合いで顔をやけどさせる危険性があるというものである。

しかしそれは、煙草の持ち方の問題であって、人差し指と中指の間にタバコを挟むのではなく、親指と人差指でとでタバコつまえば、手の甲が外側に向くので避けられることである。しかしこの方法を推奨しようということは行われず、偏向新聞として名高い朝日新聞の手法を真似た如くの手法の有り様であった。

そして続いて煙草のポイ捨てを問題視するようになり、更に加速をして歩行しながらの喫煙そのものを無理矢理に辞めさせようする手合が出てくるようになった次第である。

個人的な事を言えば以前において、役所の手先らしい者から因縁をつけられたことが何度かある。中には怪しげな身分書を提示した者もいたが、「なんだ、それは、自分で作ったのか?」と馬鹿にしつつ、「煩い。てめえにどうこうと言われる筋はない」と叱咤するのが常である。

町中の通りに吸殻入れが設置されているところがある。そういうところには当然ながら複数の人がたむろしているものだが、それ以外の場所や歩きタバコをしている人をとんと見かけなくなったが、これは困った風潮である。喫煙者がそんな有り様では、喫煙しない者に舐められぱなしになることを意味するからである。

しかしとはいえ、吸殻入れがない通りでも、ビルの角などに吸殻が捨ててあるのはたまに見かける。つまりは歩きタバコではなく「立ち止まりタバコ」の痕跡はあるわけだが、そんなせせこましいことはしないで喫煙者は人前であろうと戸外では堂々とタバコを吸い、吸い殻はポイ捨てするべきなのである。

厚労省、屋外喫煙所に交付税