山梨市長の件に見る現代社会の美しい正義感

公文書を偽造して職員採用するとは断じて許せないと、TVが市民の声を伝える。新聞紙が書く。いやはやマスコミはじめ善良な市民の皆さまの正義感には脱帽する。

小生、巷の本音は如何に、と何人かに聞いてみた。

曰く、役所なんぞ昔からコネで入るのは皆が百も承知していたこと。何を今更

今までコネで入った職員の多くはさぞ居心地悪かろう

その昔社会党系市長の時はもっとえげつなかった云。

そしてかく言う小生も初めての就職は、とある公社にコネで入った。当時、高校の教師もコネも実力のうちだと公言していたものだ。

小生はこれらの意見に同調する者である。それは決して褒められる行為ではないが、さりとて皆で袋叩きにするほどの問題でもないというのが小生の意見だ。

一体、日本はいつの頃から社会的正義や現代的道徳観がここまで要求されるようになったのだろう。

それはポリティカルコレクトネスなる思想的風潮の蔓延と無縁のものではあるまい。我に絶対正義を押し付け、断罪することに於いて、同一の社会的風潮と感じられるのだ。

一方で、蓮舫の国籍偽装問題は、それを追及すると現実の多重国籍者は大変な数になるとか、人権問題だとか、訳の分からぬ理屈をこねて擁護する者が居り、追及の手を緩める。

同じ土俵で比較できる問題ではないが、悪質の度合いは蓮舫の罪の方がはるかに重いのではないか。国家運営に直接関与できる国会議員に、嘘をついて就いたのだから。