いちえんだま

ショートショート925

一円玉

ぎりぎりまで水を満たしたガラスコップ。

その水面の真ん中に、娘が一円玉を浮かべようとして悪戦苦

闘している。

いかに一円玉が軽いって言っても水よりは重いんだから、無

造作に乗せれば沈んでしまう。

水の表面張力を利用しないとならないから、慎重に水平に置

かないとならない。

でもそれは、まだ細かい指先制御が出来ない小さな子供には

難しいかもしれない。

ううー、またしずんじゃったー

ママだって、何回かに一回成功すればってとこ。一円玉を

よーく拭いて乾かして、またチャレンジね

ぶー

飽きっぽい子供のことだ。一回で出来ないとすぐに興味をな

くす。まあ、せいぜいあと一回か二回ってとこだろう。

わたしは、ぶつくさ言いながらウエスで一円玉を磨いてる娘

から目を離し、庭の片隅でひっそり咲いている薄紅色の花に

視線を移した。

銭葵か

銭葵の語源は、その花の大きさが中国の五珠銭と同じくらい

だからという説がある。

つまり、銭になる有用な花ということではなく、鑑賞に値し

ないほど花が小さいことをバカにした名前なんだ。

そういう銭葵の立ち位置は、一円玉によく似ていると思う。

一円は通貨の基本単位。

額の多少を問わず、そこからスタートする。

計算上は銭や厘、毛があっても、通貨としては存在しない。

全ての価値は、軽くて吹けば飛びそうな一円玉の集合体なん

だよね。

でも。

たかだか百円の支払いであっても、一円玉百枚で支払うのは

嫌がらせに等しい。

百円という価値は、百円玉一枚と一円玉百枚で全く変わらな

いのに、一円玉が大挙して出動する機会というのは実際には

ほぼ皆無なんだ。

かさばって不便だから?そう。確かにそう。

でも、一円玉がそういう運命を背負ったのは一円玉のせい

じゃないよね。一円玉を粗末に扱うわたしたちのせいだ。

まあ。一円玉は、小さな丸いアルミ板に過ぎない。

それをどう扱っても、彼らが文句を言うことはないだろう。

だけど、人間はそうはいかない。

一人一人が一円玉である以上、わたしたちは単独で何かを成

し遂げることができない。

百人なら百人、千人なら千人の価値が積算されて、その人数

分の価値を生み出す。そして、わたしたちが目にするのはそ

の価値だけなんだ。

価値が一円玉の集合体であることを、きれいに忘れている。

そして自分自身がまぎれもなく一円玉であることを忘れ

ている。

ままー、みっちゃんとあそんでくるー

はいはい。行ってらっしゃい

結局、娘はさっさと一円玉浮かしを諦めて外に遊びに行った。

ふう

わたしも娘も一円玉。

一円玉は、それ以上にも、それ以下にもなれないの。

そしてね。水に浮いても沈んでもつまりわたしたちがど

う扱われても。

一円玉であることは変わらないし、変えようもないんだ。

一円玉として。

誰かに粗末に扱われたくないし、一円玉の誰かさんを粗末に

扱いたくない。

娘も、いつかそういうのを分かってくれればいいんだけど。

まだまだ先の話ね。

わたしは、コップの底に沈んだまま黙している一円玉に苦笑

を向けた。

一円玉にも一円玉分の魂、ね。俺は意地でも浮かないぞ。

そう思ったんでしょ?

OnePennybyJulianMoon

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